金原ひとみの壮絶な生い立ちと経歴!不登校原因は?夫や子供画像は?

人物
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小説家の金原ひとみ(かねはら ひとみ)さんが、パリから帰国し日本帰国して感じられた事柄やパリでの生活についての記事と金原ひとみさんの生い立ちや、家族(父親)のことや、ご自身の家族構成や画像をまとめてみました。

それでは早速どうぞ。

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金原ひとみ経歴

 

金原ひとみ(かねはら ひとみ)

 

生年月日

1983年8月8日(36歳)

 

職業

小説家

『蛇にピアス』(2003年)
『トリップ・トラップ』(2009年)

 

受賞歴

すばる文学賞(2003年)
芥川龍之介賞(2004年)
織田作之助賞(2010年)
ドゥマゴ文学賞(2012年)
渡辺淳一文学賞(2020年)

 

映画

デビュー作 『蛇にピアス』(2003年)
監督:蜷川幸雄、主演:吉高由里子

 

 

家族

2005年

集英社の担当編集者夫結婚。

夫の画像は調査中です。

2007年

長女出産

2011年

次女出産

4人家族

 

 

金原瑞人(父親)

児童文学研究家
翻訳家
法政大学社会学部教授

 

金原ひとみ生い立ち

 

小学校3年

父親に愛人がいて、子供の認知問題で家庭が荒れていた。

小学校4年

不登校になった。

中学、高校はほとんど通っていない。

 

小学6年

小説を書き始めたのは12歳。

父親の留学に伴い、1年間サンフランシスコに暮らす。

 

「子供のころから人と交われないもどかしさや生きづらさを抱えていました。そんな行き場のなさを小説で表したかった」

 

 

中学3年

15歳のころ、精神科へ通いながらリストカットを繰り返す。

父が法政大学で開いていたゼミに、「めいっ子の高校生」として参加。

 

16歳

男と泥沼の三角関係、パチンコに明け暮れて同棲を繰り返していた。

文化学院高等課程中退

「蛇にピアス」は、実生活を色濃く反映しているそうです。

20歳

周囲の勧めを受けて「すばる文学賞」に応募。

 

 

金原ひとみ岡山県に一時的避難

 

 

震災発生翌日の3月12日、原発事故のニュースをテレビで見ていると、そばにいた夫と父親から避難を勧められた。その日のうちに長女(4)を連れ、祖母が生前住んでいた岡山市内に向かった。

臨月だったのですぐ戻るつもりだった。しかし原発事故が収束しないことに不安を感じ、4月、東京には帰らずに同市内の病院で次女を出産した。今は、長女を保育園に預けながら次女の世話をしている。

 

震災前は育児も家事も手を抜いていた。家事代行サービスを利用し、料理も週に1度作る程度。

金原さんは「長女は生後6カ月で保育園に預け、仕事と育児、遊びを全て堪能していた」と振り返る。しかし今は、次女に母乳をあげているため外食を控え、自分で料理を作るようになった。「とにかく、子どもを守ることが大事だと思っている」

 

金原さんは今、2人の娘と兄らとの5人暮らし。周囲では、放射線被害を心配する心理を理解してもらえず、苦しんでいる人も多いという。

金原さんは避難した母親が子どもと2人きりになり、孤独に陥ることも心配しており、「もっと母親同士がつながれるといい」と力を込めた。金原さんも避難した当初、不安から電話で夫と口げんかをし、ストレスがたまった。

 

金原ひとみパリ帰国から閉塞感

 

金原ひとみさんは、2011年「東日本大震災に伴い発生した原発事故」の翌年2012年のに、二児を連れてフランス・パリに移住。

6年滞在し、一昨年日本に帰国しました。

帰国後の「閉塞感」語っています。

 

日本の同調圧力や厳しすぎるルールから解放されていた

 

「パリには移住前に一度、仕事で行ったことがありました。その時、文学に対する前提が共有されているような居心地のよさを感じたんです。

これまで色々な国の文学イベントなどで取材を受けましたが、カルチャーショックを受けることが多かった。

特にカトリックの影響が強い国では、人が死に向かうこと、性的なものに埋没していくことに対して、ネガティブなイメージを持たれているように感じました。

フランスはその点でとても開放的で、小説はタブーに挑むものという感覚があった。あとは子供がいるので、医療や教育が整っている国がいいと考えると総合的に丁度よかった。

実際に生活してみると、些末な問題で苦しむこともあったけれど、日本にいるときに感じた同調圧力や厳し過ぎるルールからは解放されていたと思います」

 

直感から帰国を決意

 

日本に一時帰国してフランスに戻り、シャルル・ド・ゴール空港から自宅にタクシーで向かう道すがら、ほっとするのではなく、なぜここにいるのだろうという思いが芽生えたんです。それは次第に増幅して、『もうここにはいられない』という直感から帰国を決意しました。

最後の1年は鬱に襲われてボロボロでしたね。そういう状況下で他人の死に強く共鳴してしまうメンタリティに陥り、自分と切り離して考えられなかった。

例えば、自宅近くの広場で飛び降り自殺があったと聞いた時、その話にずっと引きずられてしまって。心のどこかで、自分もそうなるのではないかという感覚を持っていたのだと思います。

帰国後の1年は様々な変化に戸惑ったり苛立ったりしていたので、その2年間を書けたのは、記録としてもよかったです」

 

 

 

日本にいると隣人と溶け合うような感覚がある

 

・日本の男性が高圧的

・ハラスメントや暴力が横行するバラエティ番組

 

高圧的な日本の男性、ハラスメントや暴力が横行するバラエティ番組――。東京篇では〈生きているだけで四方八方から侵害されているような閉塞感〉から逃れるように、仕事とフェスに追われる日々が続く。

 

「日本に戻ってきてから、中年男性の高圧的な態度に驚きました。パリでホームレスらしき男性に娼婦呼ばわりされたこともあったけれど、日常の一端として捉えていた。

むしろ日本で普通のおじさんに怒鳴りつけられた時のほうが動揺しました。それは身体感覚の違いだと思うんです。

フランスでは、街ですれ違う人とは宗教も違えば、肌の色、人種も異なる。色々な人がいて当然という前提で、他人と自分を切り離して考えます。

日本にいると隣人と溶け合うような感覚があり、あらゆることに予測が及ぶからこそ、生々しく感じられるのかもしれません」

 

子供時代から感じ続ける生き辛さ

金原ひとみさんの、「小説を読むこと、書くことでなんとか息継ぎをして、窒息せずに済んできました。」「生まれ持った生き辛さは薄れない」という言葉が印象的です。

 

「これまで小説を読むこと、書くことでなんとか息継ぎをして、窒息せずに済んできました。それでも日常を生きる自分と小説を書く自分が乖離して、自分の中でぐちゃぐちゃになったものを終わらせてほしいと願う瞬間があります。

夫と子供のいる家庭を持っても、海外に行っても、生まれ持った生き辛さは薄れませんでした。それはある種、自分は自分のまま変わらないということです。私にとっては大きな気づきでした」

 

 

 

 

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